四季おりおりの話題:番外2

四姑娘山の在る横断山脈は民族の移動回廊と呼ばれていますが、その真っ只中に在るギャロン(ギャルモロン/女王谷)も古来から多くの部族が 東西南北に行き来しながら住み着いて行った所です。
現在の女王谷ではギャロン・チベット族が多数派ですが、単一の部族ではなく色々な時代に色々な部族がやって来て先住民と融合したものです。 そのため彼らの言葉は一つではなく、互いに殆ど通じない3種のメジャーな方言と2種のマイナーな方言が有ります。 しかし交通や通信が便利になって人の往来や経済活動の範囲が広くなった現在では、ローカルなギャロン・チベット語を話す機会が減りつつあります。 彼らの共通語は漢族の四川語や北京語で、自治州の学校でもチベット語は殆ど教えられていません。 また役所や商店の看板には漢語と共にチベット語で名前が書かれていますが、公文書の殆どは漢語です。 女王谷全体では多数派でもより広い行政区域や或いは孤立した狭い地域の中ではギャロン・チベット族も少数派になり得ます。 言葉などの文化が何時までも継承できるとは限りません。
羌族の集落に住む老女 ギャロン・チベット族の集落に住む少女
老女の写真は現在では少なくなった大きな羌族の集落で撮影しました。老女は羌族の服を着て羌族の方言の一つを話しますが祖先はギャロン・チベット族でした。 この集落は数100年前までギャロン・チベット族の領主が支配していましたが、支配の終焉と共にこの地ではギャロン・チベット族は少数派になりました。 そして羌族に融合していったのです。
少女の写真はギャロン・チベット族の大きな集落で撮影しました。 少女の顔立ちはギャロン・チベット族で良く見掛けるものですが、ラサのチベット語に近い方言を話し、現存する古いギャロン・チベット語の方言は殆ど通じません。 この集落は数1000年前の新石器時代から人が住んでいた自然の恵みの豊かな場所に有り、古代から色々な部族の移住が繰り返された所です。 言葉も服飾も或いは建築様式のような文化も、強い影響力を持つ人や物が他を融合させて行ったのです。
男性の服飾はチベット文化圏の殆どで似通っていますが、女性の服飾はギャロン・チベット族と他のチベット族との間に大きな違いが有り、女王谷の中でも地域差が見られ特有の伝統を継承しています。 しかし現在では遠く離れて交流の無い地域の服飾をTVや旅行で見る機会が増え、それをお構いなしに取り込む風潮が若い世代やイベント主催機関に見られます。 先進的ではあるのですが地域特有の伝統が薄れて行くのは残念な事です。

制作:四姑娘山自然保護区管理局 特別顧問 大川健三