四季おりおりの話題:番外3

今回はギャロン(ギャルモロン/女王谷)に住む少数部族の羌族について少しお話しします。
羌族の名前は異質な歴史を幾つも背負っています。 数1000年前から何度か南下して来た「羌族」が居て、古代の歴史書等に出てくる広範囲に定義された「羌族」が居て、さらに現在の少数部族の羌族が居ます。 これらは一部分重なる所が有りますが同じ部族ではありません。 これらの羌族を区別せずに話すと正確に議論出来ず、同時に強い誇りと独自性を持つ現地の人々から反撥されますので注意が必要です。
写真は現在の羌族の女性で、彼らの集落は女王谷東部や更に東の地域に所々残っていますが、共通な羌語は無く場所が離れると言葉が殆ど通じません。 交通や通信が便利になって人の往来や経済活動の範囲が広くなった現在では、ローカルな羌語を話す機会が減って漢族の四川語や北京語を共通語として話す機会が増え、特に若い人にこの傾向が強く見られます。 自治州でも羌語を教える学校は僅かです。 羌語に限らず少数部族の言葉が廃れて行く事は文化の伝承の面で悲しむべき事ですが、現実に住む人達の選択の結果として素直に捉えるべきです。
羌族の若い女性 羌族の老女と少女
話が少し変わりますが、四姑娘山に住んでいる人達はチベット族ではなく羌族だと言う方が時々居らっしゃいます。 文化人類学上の説として話す分には問題ない筈ですが、現実と大きなギャップが有るため時と場所を心得る必要が有ります。 50年位前の四姑娘山周辺には小さな羌族の集落が有った伝承が僅かに残っています。しかし現在の四姑娘山周辺には殆ど羌族は居ません。 昔居た羌族の殆どは多数派のギャロン・チベット族や漢族に融合してしまい、羌族だった頃の記録や伝承を探すことさえ難しくなっています。 現在の四姑娘山周辺ではギャロン・チベット族が多数派です。彼らに「貴方は羌族だ」とか「羌族の子孫だ」と言ったら、彼らは機嫌を損ねて 「自分達の祖先は西から来てこの地に住み着き独自の文化を発展させた」と主張するでしょう。

制作:四姑娘山自然保護区管理局 特別顧問 大川健三