女王谷チベット族の婦人


- 女王谷の歴史物語とロマン - *1
女王谷流域の地図
典型的な女王谷の風景
大金川の峡谷を背景にして立つ石積みの塔。川沿いの斜面に寺や民家が散在します。
BC323年、インダス河畔に疲れ切った表情の男が佇み上流に見入っていました。 遥かなマケドニヤから東征してペルシャを破りインドにまで達したアレクサンドロス(アレキサンダー大王)でした。 アレクサンドロスは傍に控える腹心の将軍に声を落としてつぶやきました。 「この河の源に世界の中心が有り黄金の国が栄えていると言う。 私はそこへ辿り着きたい。しかし神の意思はそれを許さないようだ・・・」。 アレクサンドロスは自分がこの地で死ぬ事を予期し、将軍に遺志を継がせてインダス源流へ向かわせました。 まもなく故郷の家族を恋しがる兵士達が反乱を起こし、アレクサンドロスは殺されてインダス河に消えました。 アレクサンドロスの遺志を継いだ将軍は部下と共に反乱から逃れてインダス河を遡りました。 ある時は土豪に阻まれて迂回し、ある時は土民に襲撃されて部下を失いました。 しかし将軍はついにチベット高原西部のインダス河源流に至りました。 そこには森と草原に覆われたシャンシュンと呼ばれる豊かな国が有り、世界の中心とされるカイラス山が聳えていました。 この国は女王が治めていました。女王は石積みの館に住み、その中央には天界を模した9層の塔が有りました。 9層の塔は黄金で飾られ陽を浴びて輝いていました。そして館の中にも多くの黄金が溢れていました。 また、王を神格化し山や火などの自然を崇拝する信仰(ボン教)が確立していました。 女王は遥かなマケドニヤから辿り着いた将軍から話を聞き、アレクサンドロスの東征を後世に語り継がせました。
カイラス山6714m北面
チベット語ではカンリンポチェ、ボン教ではオルモルンリンと呼びます。
チベット北部の高原
領主の館跡に残る9層の塔
隋書の女国伝や唐書の東女国伝等に9層の館に女王が住むと記録されています。
18世紀中期の金川戦役を記録した絵にもこの種の9層の塔を持つ別の領主の館が描かれています。
壊れる以前に描かれた館の絵
砂金と伝統的な耳飾
緑深い山腹に建てられた領主の館の跡と村落
激しく浸食された谷底と異なり、山腹や山上には豊かな水に育まれた森や草原が有ります。
凡そ500年後、シャンシュンの国の勢力はインド北部のラダックからチベット北部の高原地帯まで及んでいました。 しかし永く繁栄を続けている一方で、過度な伐採や家畜の増加によって森と草原の衰退が顕著になりつつありました。 ある時、女王は水と緑に恵まれ黄金を豊かに産する東方で一族を繁栄させよとの神託を受け、 新天地を求めて王の一族の一部を東進させました。 この時、王の一族はアレクサンドロスの失敗を繰り返さぬよう軍隊や工人や農民を家族ごと引き連れて移動しました。 王の一族は住む人が希薄な北部の高原を東進して大渡河(長江)源流に達した後、 南北に連なる横断山脈に沿って金川流域まで南下しました。 深く浸食された巨大な褶曲山脈である横断山脈では、多くの場所で金鉱が露出し砂金が推積していました。 金川流域には特に多くの黄金が有りました。そして何よりも豊かな水と緑が有りました。 金川流域の東と南は険しい山々に阻まれ、山々を越えると中国王朝が支配する平地に近かったので王の一族は移動を止め、 先住民と同化しながらこの地に母国と同じような石積みの館や家を建て政の仕組みを作りボン教を広めました。 そして人々はこの地を「rGyalmorong=女王の谷」と呼ぶようになったのです。 その後、母国のシャンシュンは吐蕃によって滅ぼされましたが、東方の女王谷は生き残りました。 吐蕃や中国王朝の進出によって女王による政の仕組みは表向き消えましたが裏では永く続き、 18世紀中期に清朝の乾隆帝が進攻するまで(金川戦役)強く残りました。またその文化の一部も継承されています。 今日、これらの歴史は「女王谷」の名と共に殆ど忘れられています。 しかしこの地の人々は今でも自らを嘉絨藏族(ギャロン・チベット族)と呼んで他と区別し高いアイデンティティを誇っています。
長い歴史を持つボン教の寺に継承されている山神の壁画
山神は女人でヤクに乗っています。似た女神が古代シャンシュンに有りました。
朝焼けの四姑娘山主峰6250m(FGM)
スコラジダと呼ばれ女王谷を保護する山神の一つとして崇められました。

後書き
凡そ2000年経った今日、黄金は殆ど取り尽くされましたが、それに優るとも劣らない緑豊かな環境は今も大切に受け継がれ、 女王谷の人々の生活と多くの素晴らしい文化遺産や美しい自然を支えています。 しかし将来については決して楽観できません。 森林伐採による環境破壊の脅威は過ぎ去りましたが、急激な観光開発による文化の変質と遺跡や自然の破壊の脅威が訪れつつあります。 私は読者の方々に女王谷への関心を持って頂き、 機会が有る時に文化遺産や自然の保護について女王谷の人々に助言して頂けるよう願っています。

脚注
*1: この記事における歴史解釈は著者のロマンチシズムに発した仮説です。
*2: この頁は中国国際航空機内誌「西南航空2004 No.3 Vol.77」に掲載された記事の原文です。 機内誌には下記の誤字が有ります。また省略されている部分が有ります。
    誤:右側ぺージの下/領主の館跡に残る9層の塔 
         左/壊れる以前に描かれた館の絵
    正:右側ぺージの下/典型的な女王谷の風景 
         右/壊れる以前に描かれた館の絵

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制作:四姑娘山自然保護区管理局 特別顧問 大川健三